気仙沼が実家で、今は多賀城に住む友人。
震災後、近くの避難所に子供と行ったものの
座る場所さえない程の人だったらしく
傾いてしまったアパートに戻って来たとか。
まだ、水が出ていないし少し前まで
何も買えず(情報がなく)避難所の方が
食べれていたみたいと言ってた。
気仙沼の実家には、お母さんとお姉さん夫婦が
避難所での治安の悪さが堪らず
半分流された家に戻って来たそうで
こちらも、避難所には布団も配布され
食事も出されているのに
自宅避難の人には、布団も配給もない。
自分で調達するしかないそうです。
でも、本当はおかしい
立場は同じはず。
様々な事情で避難所に居られなかっただけなのに。
避難訓練より、避難所や自宅避難の人に
いかに早く均等に物資を届けられるか
今後は、そんな訓練が町内会、自治体単位で必要なのでは?
3週間になるというのに
まだまだ、いえ段々悲惨な状況にある人が
実際居るのです。
何も出来ない自分が悲しい。
UPのマネージャーからのメールに
奥村社長からの動画メッセージが
添付されてきたのですが
容量大きくて見れませんでした
残念だったけど
社長のお気持ちは嬉しかったです
昨日出社して、全員無事だったようですが
家族を亡くされたり
実家の家屋を無くされた方はいらっしゃるようで
全員が復帰出きるまで
まだ時間かかるようです。
会社から急きょ
今月だけ試験的に再開します。
そんな連絡が来て、今から出勤します。
JRが全滅で、バスか地下鉄になります。
地下鉄は正確なんだけど
料金が高い
しかも、地下鉄のホームまで
歩く時間も入れると
家を出る時間は、それほど変わらないので
今はバスの中です。
朝から強い余震があり
子ども達だけ置いて出るのも
ちょっと後ろ髪引かれましたが
本震の時にバラバラで居た事を思えば
姉妹で居る分、少し安心かな?
とも思いました。
会社のビル自体が安全なのか…
電話もらった時は「安全を確認してはいない」
と言ってただけに、一抹の不安が
日常を取り戻しつつある市内。
ミスドやドトール、ベローチェなどのカフェ。
今日はロイホも開いてるところがありました。
ミスドなんて、初出店みたいに長蛇の列です。
三越や地元デパートの食料品は10ー15時くらいで営業してます。
地元の商店街内のお店は、店頭などで売ってる店もあるんですが
そういう店は通常、もしくはリーズナブルな値段。
ただ「この人達どこから?」と思う店は酷い。
卵10個で400円には怒りさえ…。
既に生協やスーパーでは限りはあるけど卵や牛乳も手に入る。
400円も出さなくたって買えるのに…。
野菜も同じように足元見てる。
こんな時に…。哀れな金の亡者だと思った。
職場から昨日電話がはいり
「明日から出勤できますか」って( ゜_゜;)
子ども達もいるし、ガスが復旧していない。
食料もそうそう欲しい物が手にしにくいので
そう直ぐには出勤無理です(苦笑)
ひとまず来週から出勤で、通常9-18時の所
子ども達の事もあるし明るいうちに帰宅してあげたいので17時にしていただきました。
今月のみ試験的に営業するらしく
4月からも続けられるかは検討中だそう。
JR全滅で、バスと地下鉄しか動いていない為
ほとんどの同期と仲良くなった社内の人は出勤無理みたい。
こんな時に、知り合いの出勤極少なのは心細いよ。
とはいえ、働かにゃ~~なので行きます。
我が家はいつも生協の個配を利用し
1週間分の食料品や雑貨を購入しています。
震災の時、配達翌日であったのと
その時、なぜかいつもより冷凍物を
少なめに買っていました。
幸い停電でも寒いので地震から丸2日
機能停止でも、冷凍物はほぼ大丈夫でした。
ガスが使えない為に、あまり調理出来ず
「宝の持ち腐れ」か…と思ってたら
ホットプレートで調理出きるでしょ。
と言われ助かりました。
スーパーには連日、長蛇の列でしたから
食材あるうちは買い控えてようと
ある物で1日2食で生活していました。
昨日、買い出しへ行き
食パン・卵を買えた
もう、これだけで最高の悦びです(笑)
日常、当たり前だった事が
こんなにも幸せにしてくれるなんて
早速、卵焼きを作って夕食にしました。
付け合わせは、人参の千切りサラダ。
子ども達、最初は人参サラダに
「え〜っ」って嫌な顔でしたが
そこは生協の人参
2人共「にんじんおいしぃ〜」と
これまた喜びに↑
日本は物が溢れて、皆恵まれ過ぎた為に
不平、不満が多い
たまにそう感じていましたが
今回、しみじみ実感です。
不自由ありがとう
感謝・感謝です。
ただ、不自由過ぎる本当の被災地は
もっとたくさんの恵みがありますように。
避難所を2日間だけで出てきたけれど
自宅でも似たような生活。
リビングと隣の和室で3人が寝ていて
余震も怖いし、狭いスペースで寝起きしてるので
棚の上に置いてた物を全て下に置いているため
さらに狭いスペースに居る。
灯油も配達が無いし、車持ってないし…
ヒーターは、朝の着替えの時に10分程度の利用。
なんだか疲れちゃった
でも避難所の方は、もっと辛いだろうなぁ。
早く何とかしてあげて欲しい。
避難所への物資だって、ただ運ぶのではなく
避難所からの注文制度的にしたら
もっと必要な物が必要な人に行き渡るんじゃないの?
上から目線だから「届ける」になる。
お客さまだと思ったら「ご注文は」にならない?
今こそ、『もしどら』を参考にして
【誰がお客さまなのか】を考えてみる時じゃないのか…
大変な時にブログUPしてくれてありがとう。
たくさんの方に言っていただきましたが
時間だけはたくさんあります(笑)
仕事も自宅待機と言われ
外に出てもスーパーは、いつ開くかわからないのに
何か買いたい時は長蛇の列。
家に引きこもるしかないし
テレビは地震と原発の話だけ。他にする事もないわけです。
私達家族は、ガスだけ使えないけど、自宅に居られます。
昨日は一日中、雪が降っていましたが、ヒーターは点けずにホットカーペットだけで乗り切りました[力こぶ]
あの地震から1週間ですね。
早い…。
余震の多さに参ってしまいます。
精神的に。
特に昨夜は、本震思わせるくらい長い揺れもあり
逃げ出したいと思ってしまう。
1時間に震度3くらいが2〜3どあり、一晩中そんか感じ。
早く落ち着いて欲しい。
昨日、消息掴め無かった友人や知人が避難所に居ると分かり
ようやく、ホッとしました。
原発で危険な仕事をしている方やご家族は、余震に加えて不安でしょうから、私が参ってられないか…。
すみません
県庁や区役所まで歩いて15分圏内。三越までも20分。
比較的街中であるため、ライフラインの復旧が早いのは幸せだ。
体育館での避難所生活を2日間だけでも経験し、家の中がどれだけ温かいか、痛感させられました。
気温が下がり、昨日は1日を通して雪が降っていましたが、家でヒーターを入れたいのは、トータルで1時間。
子ども達が「寒くないよ」と、使いません。
節電の為に、リビングの電気も1つ消して、夜も9時過ぎには寝る事にしています。
ただ、震災後の余震回数は、直後よりだいぶ減ったものの、まだまだ多くこわいので、夜通し小さい電気を点けて寝ています。
昨日までに、携帯に登録した同期生の安否確認をしたのですが、銀行員の女性は震災後、帰宅出来ずそのまま業務に当たっていた。
県庁組も同じようで、無事だよ。多分家族も無事なはず。
そんな返信がきました。
気仙沼の友人ては未だに連絡取れず、仙台に居る妹さんと連絡を取り合い、Googleからの安否確認で同じように彼女を探す、町田の方とも連絡を取り合い探しています。
昨年までに、ご両親を続いて亡くされているせいか、妹さんは不安がり電話口で泣いています。
船乗りのご実家も気仙沼港に着いたものの、岸壁が無くなり接岸出来ないそうです。
そんな中、私達母子は昨日、妹のアパートにお風呂もらいに行って、帰り道寄ろうと近づいた所で、営業してるラーメンを見つけ1杯500円で食べる事が出来ました。
熱々の物を口にしたのは、震災後初めてで、普段はスープまで飲まないのに、ありがたさと避難所の方を思うともったいなさで、子ども達とギリギリまで飲み込みました。
お客さんは皆、ラーメン屋さんにありがとうと言って帰っていました。
私達も心から、ありがとうと言って店を後にしました。
その後、午後からは安否確認した同期生の一人が、カップ麺の倉庫が壊れて、水浸しになった中でも、いい所だけ持って来たから、とカップ麺を4箱もいただきました。
これは今日、知り合いに配ります。
震災後、電気が復旧する度に消防車が行き交う毎日。
避難する時はブレーカー落とすなんて、今回初めて知りました。
会社からは自宅待機を強いられていますが、消防士さん、官公庁の方…仕事のある方は、不眠不休じゃないか?と思う程、忙しくて大変そうです。
また、家の会社では母子家庭が多いので、この仕事が無い状態を不安に思う方も多いはず。
私はかなり幸せです
避難所は、チビの通う中学校の体育館でした。
灯りも点かない体育館に
それぞれ灯りを自宅から持ち込んでいました。
1晩目は、震度4以上の余震が何度も続き
皆、何の情報もなくラジオから流れる
震度7と言ってる事や、津波が…と
聞いてはいても、どの辺りがどの程度の被害なのか
(私はこの時点では、せいぜい3mくらい…と思ってましたし)
分からない事ばかり、実家や妹・上の子とも
連絡が取れず、不安でしか無かった。
そんな中、チビを含む中1達は
みんなキャンプでもしているように
楽しそうに生き生きしていて
真っ暗な夜には
「めっちゃ星がキレイに見えるよ」
『わぁ〜みるみる』と
街中の為、普段は外灯やマンションの灯りで
あまり見えない星を観察したり
夜は1時間交代で、真っ暗なトイレの
照明係をボランティアで行なっていました。
余震があっても、キャーキャー騒ぐ事なく
終始冷静で、むしろキャーキャー言う
若い女性に「うるさいなぁ」と
小声で言い合ってたり。
底冷えのする体育館に、配られた
ゴミ袋だけを敷いて寝るのは
本当に寒かったけれど
友達と、持ち寄りの毛布を掛け合い
よく分からないけれど、クスクス笑い合い
与えられてしまった。とも言える状況で
その場を楽しんでいたのは
まさに子ども達だったと思います。
自宅に帰れてからも、チビは相変わらず
マイペースで楽しんでいて
ホント、いろいろ教えられた気がします。