なんて幸せなんだろう
県庁や区役所まで歩いて15分圏内。三越までも20分。
比較的街中であるため、ライフラインの復旧が早いのは幸せだ。
体育館での避難所生活を2日間だけでも経験し、家の中がどれだけ温かいか、痛感させられました。
気温が下がり、昨日は1日を通して雪が降っていましたが、家でヒーターを入れたいのは、トータルで1時間。
子ども達が「寒くないよ」と、使いません。
節電の為に、リビングの電気も1つ消して、夜も9時過ぎには寝る事にしています。
ただ、震災後の余震回数は、直後よりだいぶ減ったものの、まだまだ多くこわいので、夜通し小さい電気を点けて寝ています。
昨日までに、携帯に登録した同期生の安否確認をしたのですが、銀行員の女性は震災後、帰宅出来ずそのまま業務に当たっていた。
県庁組も同じようで、無事だよ。多分家族も無事なはず。
そんな返信がきました。
気仙沼の友人ては未だに連絡取れず、仙台に居る妹さんと連絡を取り合い、Googleからの安否確認で同じように彼女を探す、町田の方とも連絡を取り合い探しています。
昨年までに、ご両親を続いて亡くされているせいか、妹さんは不安がり電話口で泣いています。
船乗りのご実家も気仙沼港に着いたものの、岸壁が無くなり接岸出来ないそうです。
そんな中、私達母子は昨日、妹のアパートにお風呂もらいに行って、帰り道寄ろうと近づいた所で、営業してるラーメンを見つけ1杯500円で食べる事が出来ました。
熱々の物を口にしたのは、震災後初めてで、普段はスープまで飲まないのに、ありがたさと避難所の方を思うともったいなさで、子ども達とギリギリまで飲み込みました。
お客さんは皆、ラーメン屋さんにありがとうと言って帰っていました。
私達も心から、ありがとうと言って店を後にしました。
その後、午後からは安否確認した同期生の一人が、カップ麺の倉庫が壊れて、水浸しになった中でも、いい所だけ持って来たから、とカップ麺を4箱もいただきました。
これは今日、知り合いに配ります。
震災後、電気が復旧する度に消防車が行き交う毎日。
避難する時はブレーカー落とすなんて、今回初めて知りました。
会社からは自宅待機を強いられていますが、消防士さん、官公庁の方…仕事のある方は、不眠不休じゃないか?と思う程、忙しくて大変そうです。
また、家の会社では母子家庭が多いので、この仕事が無い状態を不安に思う方も多いはず。
私はかなり幸せです
生きてることが、幸せ。
・・・ですね!!!!
私は、普通通りの沖縄の嘉手納基地で仕事をしていますが・・・
沖縄のマリンベースで働く旦那様は、(具体的な仕事内容は、わかりませんが)、ここ二日間は朝6時に家を出て高速に乗り、帰りは9時過ぎ。今までは、4時半までの勤務で、5時過ぎには帰宅していましたが・・・。
実は、いろいろあって今別居中の旦那様。
日本の復旧の為に、一生懸命に働いているアメリカ人です。私は、実家からメールと電話のやりとり。感謝しています。
ちなみに、私の姉も横田基地に住んでる元空軍のアメリカ人。軍属として、去年日本に勤務地を希望し、日本に3年間勤務。彼も同様、長時間働いているそうです。
日本の明るい未来を、イメージしていますね。
2011 年 3 月 17 日 1:47 PM